『ミニオンズフィーバー』キャラ別の感想。今日はグルーについての感想です。


グルーは『ミニオンズ』ではラストシーンのみの登場で、スタッフロールの合間のミニ・ムービーでケビンたちと過ごしている様子が描かれていました。
今回はグルーとケビンたちの絡みや活躍をたくさん観れてすっごくうれしかったです。

映画を観終わって感じたことは、やっぱりミニオンたちのボスはグルーしか考えられないし、もっともっとグルーとケビンたちの活躍を見たい!…ということでした。

ちなみにグルーの中の人(スティーヴ・カレル氏)はそれなりの年齢のイケオジですが、見事な少年声でした。さすが一流の俳優さんです。吹替版の笑福亭鶴瓶氏の特徴的なだみ声も個性的で、吹替版は吹替版でいいと思います。



『ミニオンズフィーバー』開始直後の時点では、ケビンたちのオーバーオールにはグルーマークはなくて、グルーのお手伝いとして雇われている状態でした。
『ミニオンズ』の後、グルーの家の「お手伝い募集の広告」を見て応募してきたケビンたちを、最初は断ったものの、ミニオンたちがあきらめないので根負けして迎え入れた経緯がグルーの回想で語られてます。そのときの雨の演出は、実はミニオンたちの裏工作だったのが爆笑ものでした(^^;)。

ちなみにこのときのミニオンたちはそれぞれ細かい動きをしているので必見です。ミニオンたちのプラカードは吹替版だと「グルー大好き」「養子にして」と個性的なフォントで書かれているので、こちらも必見です。


グルーはケビンが惚れ込んだだけあって、怪盗の腕は子供ながら素晴らしい才能をもっています。
グルー曰く「俺の夢はスーパー悪党になること」で、そのこともあって周囲から浮いているものの、ケビンたちとは楽しくやっている様子が前半で描かれてました。ケビンたちとゲーセンで遊ぶ様子は年相応の少年らしさを見せていて微笑ましかったです。
グルーが子供の頃からミニオンと過ごしていたことは、『ミニオンズ』のスタッフロールの幕間アニメで描かれてましたが、『ミニオンズフィーバー』でのリア充ぶりにうらやましいと思った方は必ずいると思われます。


怪盗を自称するだけあって、ただでは終わらさないとばかりに、ヴィシャス・シックスからゾディアック・ストーンを盗む手腕もお見事です。

ゾディアック・ストーンを盗もうと思ったのはその場の思いつきでしょうが、この状況でとっさにその考えにいたるのはまさに真の怪盗。




グルー関連のシーンでは、学校が終わったグルーをケビンたちがお迎えするシーンが大好きです。あの微笑ましさは、観るたびに癒されました。

ただ、同級生たちはみんな両親が迎えに来ているのに、グルーはミニオンたちがお迎えしてて、肝心の母親は友人とヨガに没頭していて、グルーのことは放置という一種のネグレスト状態でした。
グルーがミニオンたちに大喜びでヴィシャス・シックスの面接を受けることを報告していたことから、ケビンたちはグルーにとって家族代わりで友達みたいな存在だったんだろうなあと思います。放課後にケビンたちと遊んでいたグルーの楽しそうな表情は本物だったし、一緒に寝たいと頼むボブやケビンのお願いを聞いて、さらに飛び入りで来たスチュアートに対しても追い出そうとせず、仕方なく一緒に寝てたので…。
ただ、ゾディアック・ストーンの一件でケビンたちにクビを言い渡して出ていくように言っていたことから、その時点ではケビンたちの存在のありがたさをわかってなかったorそれすら忘れるほど激怒していたんでしょう。

追いかけてきたケビンに「来るなケビン。俺一人で行った方がいい」と言ったときの冷ややかな表情から、今までグルーはずっと一人でやってきたから誰の力も必要ない…という自負があったんでしょう。

でもワイルド・ナックルズと過ごして一緒に悪事を働くことで、誰かと一緒に悪事を働くことの楽しさも学んだんですね。ワイルド・ナックルズに「これから色々教えるぞ」と言われて、「今から待ちきれないよ」と笑顔で答えていたグルーはいきいきとしていて楽しんでいました。悪党に憧れてるという点はともかく、好きな相手にはとても素直な少年なんだと実感。

失意のワイルド・ナックルズをグルーが「俺とチーム組もう」「あの石を取り戻してあんたはまだまだやれるって証明するんだ」と励ますシーンは見ててしんみりとしました。
ワイルド・ナックルズから「(家に)帰んな」と言われて帰るときのグルーの悲しそうな様子から、仲間を失った寂しさや孤独を初めて感じていたんでしょう。母親とは同居してるけど疎遠で、ミニオンたちはクビにして、ワイルド・ナックルズから見放された。だからこそ、オットーに気づいたときは、オットーがしたことの怒りはすっかり通り越して懐かしさしかなかったんでしょう。グルーが笑顔でオットーに「ミニボスだ」と呼び掛けて、オットーと手を取り合ってくるくる回って再会を喜んでいた場面はほろりときます。

その後、グルーはヴィシャス・シックスに捕まって時計台に磔にされてしまいますが、ただ助けられて守られるだけのボスではないところもよかったです。
オットーに助けられた後は、ジャン・クロードにつかまれたオットーを助けたり、時計台の針とロープを使って下に飛び降りたり、ゾディアック・ストーンを取り戻してヴィシャス・シックスをネズミに変えて戦いの決着をつけた行動はとてもかっこよくて、戦いの決着をミニオンたちのボスであるグルーがつけるという演出に感動しました。

ワイルド・ナックルズの葬式で、木陰から自分を見つめるワイルド・ナックルズを見て、前向きな言葉をスピーチの形でワイルド・ナックルズやケビンたちに語って聞かせる場面にまた感動。この場面が広告の【大切な仲間は、絶対に手放してはいけない――。】を表していたと思うとまたまた感動。
ミニオンズフィーバーチラシ2022版裏
ミニオンズフィーバーチラシ2022版表
映画を観終わった後で、このチラシを見ると、改めてしみじみ感じます。

ネファリオ博士も仲間に加えて、ミニオンたちとさらなる一歩を踏み出そうとする場面で終わりで、次回作が楽しみになる結末でした。まさに「今から待ちきれへん」(BYグルー)ですね~(^^)。





グルーはミニオンと一緒のミニ動画も色々あってうれしかったです。

これはオチがアレなんですが、ミニオンたちが可愛いのでよしとしましょう。

 


最後にグルーの家族関係について徒然と。
冒頭で小学校にグルーを迎えに来ていたのはケビンたちで、母親は家で友人とヨガに没頭していました。他の子供たちは両親がちゃんと迎えに来ていたことから、一種のネグレストと思われても仕方ない状態です。ミニオンファンとして全然オッケーなんですが、現実的に考えるといかがなものかと…という感じなんですよね。

『怪盗グルーの月泥棒』では、グルーが月泥棒を企んだのは母親に認められたいという願望(幼少期から母親に認めてもらおうと試みてはそっけなくされてきた)が根底にあったから…という設定でした。
『ミニオンズフィーバー』ではグルーは母親にあまり期待してないのか、ヴィシャス・シックスの面接を受けることを母親に報告しようとしましたが、「仲間ども(ミニオンたち)に家の手伝いをするように言え」「癒しタイムが台無しだ」とそっけない態度をとられて、すぐにあきらめてました。

その後も、母親はグルーが誘拐されて家にいないことも全く知らなくて、ミニオンたちとマルチ商法のタッパーパーティーを開いていたり、乗り込んできたベル・ボトムたちに「(グルーがどこにいるなんて)知るわけない」と答えていました。

さらに、グルーを誘拐したワイルド・ナックルズがグルーに家に電話をかけるように言ったときに「ママなら金を払って俺を差し出す(金を出すから息子引き取れと言う)」とグルーが言ったことから、母親はグルーにも信用されておらず、ある意味淡泊な親子関係だったと推測。
『ミニオンズフィーバー』のグルー親子の関係は、『怪盗グルーの月泥棒』とはまた違った親子関係(こっちではさらに冷淡)になってるなあと思いました。

グルーがハイテク自転車を持っていたり、お手伝い募集をしていたことから、母親は一応グルーにたくさんの小遣いを与えて最低限のことはしてるけど、基本的に息子を放置して(小遣いはたくさんやるから一人でやれ状態)自分がやりたいことに没頭しているんでしょう。
息子を放置して趣味に没頭するお金と余裕があるなら、そういう生き方もありかもしれないですが、さすがに息子が誘拐されたことにも気づかないのは母親としていかがなものかと…(・・;)。
グルーが日頃プチ悪事をして、母親もマルチ商法でミニオンたちにタッパーを売らせている様子から、この親にしてこの息子あり…なんでしょうか。

結論:
グルーとミニオンたちが楽しくやってられればそれでオッケー。家族の形も色々あるということで…。

アニメ映画の世界だからこそ許されるものであって、現実にいたら迷惑極まりないでしょうが…。